日本の霊場と霊能者
私ども電話占い霊雲に所属する40名以上のイタコ・霊媒師・霊能者のほとんどが、恐山や高野山そして比叡山の日本三大霊山を始めとした、各地の有名な霊場で修行を経験しております。霊場と言うよりもイタコの聖地として、言わずもがな有名な下北半島の恐山。宗教的聖地として名高い高野山と比叡山。それら以外にも日本には、霊山や霊峰と呼ばれる山々、四国八十八ヶ所などの札所と呼ばれる寺院をお遍路さんとして巡礼する霊場など、形式も手段も様々な修行の場がそこかしこにあります。
長い歴史に中で今日まで、それらの場所が有名な霊場として受け継がれているのは、やはりそこにはなんらかの力、すなわち自然の力、神仏の力、霊体の力、地球の力といった、目に見えない力が存在し、それを受け取ることができるからなのでしょう。
ではそれら有名な霊場に入る、経験することで、霊能者にはいったいどんな変化があるのか?霊能力の開眼やさらなる向上に、霊場は影響するのか?実際に有名な霊場で修行した霊能者は、いったいどんな経験をしたのか?など、電話占い霊雲に所属する霊能者に、自身の体験や経験を語っていただきました。
なお、現在も電話占いの鑑定業務の合間を縫って、現地の霊場で修行を継続している霊能者の先生もおられます。修行の妨げとなってはいけないので、こちらでは場所や霊能者の特定ができないよう、ご紹介をさせていただきます。あらかじめご了承ください。
電話占い霊雲「イタコ霊能者のお話」
こんにちは皆さん。今回はなんでも私たち霊能者の修行についてお聞きしたいとか。確かに鑑定業務の中で、修行の詳細についてご相談者にお話しすることは稀なことです。ですが時間があるなら、もっと霊能者のことを知りたいと思うのも納得できます。 私が修行をしたのは、恐山を始めとした下北半島、そしてオシラサマ信仰の残る岩手県のとある山間の村、とでも申しておきましょうか。えぇ、確かに私はイタコの血を受け継いでおりますよ。ですからこの地域の霊場とされる有名な場所で修行することに、特に迷いはありませんでしたね。それに私は幼くして霊能力に目覚めましたが、そのときからそばには祖母という師匠イタコがいたのですから。ひと口に修行といっても、実に色々なことをしました。その一部をお話しすると、たとえば閉ざされた箱の中に入っている物を心眼で見て当てる透視霊能力の修行。村人の失くし物を読み取り、どこにあるか当てる霊視霊能力の修行。霊場に宿る霊気や高次元霊体の念を憑依させる降霊霊能力の修行など、今でこそ瞑想を行なうことで瞬時にできますが、当時はできるまで何度も繰り返し繰り返しやったものです。それらの修行中は、当然ながら霊場とされる場所から出ることはありませんでした。常にその場所に身を置くことで、霊場全体の地のパワーも受け取って自分の霊能力向上に当てると祖母のイタコ師匠から諭されていたので。 ですからいわゆる免許皆伝となって以降も、霊場の地から足を踏み出すことになりましたが、やはり大地のパワーを感じられる下北半島を活動拠点としておりました。当時は今のようにネット環境も整っていない時代でしたが、引退した祖母を頼っていた方や、口コミによって多くのご相談者を抱えるまでになりました。 忙しかった?えぇ、確かに忙しかったですね。その場しのぎの解決策ではなく、相談者にはこの先ずっと幸せになっていただけるように降霊助言を行なっていましたから、時間はいくらあっても足りないくらいでした。ですが自分が修行した霊場の近くにじっくりと腰を据えていると、疲れるとか霊能力に衰えが見えるとか、そういったことは全然ないのですね。これこそまさに、祖母が言っていた霊場のパワーを受けているからなのかもしれませんね。ですから今のような電話占いといった形態は、とても自分にはありがたいと思っていますよ。日本各地に霊気の宿った有名霊場はありますが、ご相談者が必ずしもその近くにいるわけでもないので、常に高い霊能力を保ったまま鑑定を行なえる電話占いはとても効果的だと感じています。当地にお越しくださる方も、電話で相談を寄せられる方も、どちらにも同じように完璧な降霊・霊視・透視といった霊能力鑑定ができるよう、霊場からのパワーを受けるこの場所で今後も活動していきたいと思っています。
電話占い霊雲「霊視霊能者のお話」
有名な霊場に関するお話ですか?修行も絡めて?なるほど、でしたら確かに私は適任と言えるでしょうか。では早速お話しさせていただきましょう。
霊場と申しましても、私の場合は霊山や霊峰といった山岳霊場ではなく、寺院を巡る霊場の方に縁があります。なぜなら、私が霊能力を開眼したのは、その霊場巡りの最中に野宿した夜だったからです。徒歩で幾十日もかかるその霊場を巡ったのは、私がまだ若い頃でした。出費を抑えて徒歩での霊場巡礼。削れる出費はすべて削る勢いで、宿泊費や交通費はほぼ使いませんでした。その霊場巡礼が結願に近付いた頃、何度目かの野宿をしていた夜でした。もうすぐ眠りに入るだろうと感じていたまさにそのとき、急に光が私を包み込んだのでした。最初は車のヘッドライトかと思い飛び起きましたが、その光は前ではなく上、つまり空中からゆっくりと私の前へ降りてくるのでした。“疲れて寝ぼけているんだ”そんな気もしましたが次の瞬間、私の頭の中に直接声が響いてきたのです。いわゆる言葉になっている声ではありませんでした。まるで外国語を聞いているような、そんな不思議な感覚でした。でも不思議とその内容はわかったのです。理由なんてないですよ。「力を与える」そう言っているのを“聞いた”と言うよりは“感じ取った”としておきましょう。その直後に気を失っていたらしく、次の日の朝は地元の方に起こされました。
自分の身体の変化はすぐにわかりました。なにしろ、その起こしてくれた方の心の声が聞こえたのですから。口が動いていないのに、声が聞こえる。最初はこの状況が飲み込めませんでした。霊場巡りをしている最中にも、不可思議な体験は山ほど耳にしてきましたが、まさか自分がこんな状況になるとは思いもしなかったものですから。それにそのときまで、心霊も信じていなかったし、自分に霊感なんてまったくなかったのですから。
自分が授かった霊能力は、徐々に認識していきました。なにしろ出会う人みんなの心の声が聞こえる、その人の出身地や職業や家族構成が見える、右の曲がり角から自転車に乗った女性が来ると予知できるなど、映画や小説の世界に自分が入り込んだような気持ちにさえなりました。そうこうしているうちに、いよいよ霊場を結願する日がきました。実はそのときには、日常へと戻ったときに自分がすべきことについてはわかっていました。そのために与えられた力であることも、深く理解していたのです。霊場で霊能力を授かり、霊場で霊能力を磨いた。そんな感じでしょうか。
そして今、こうして電話占い霊雲に所属して、霊能力を使い相談者の声に応えています。自分の選んだ道が正しいと、絶対的な気持ちで言えます。実は霊能者として数年が経った頃、霊界と意識をつなげてあのときの高次元の存在に問い掛けてみました。「今の自分は正しい道を選べていますか?」と。かつて光となって現れたその存在は、再度私と意識をつなげてくれましたよ。